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手作りノートとカルトナージュの布箱を主にハンドメイドしています。ハンドメイドのみならず、色々な事に興味深々です。 芸術鑑賞やポエムを読むこと、絵を描いたり、最近はまった短歌のことなどを、自由気ままにコメントして行きたいと思います。歴史、地理、文化、上げるときりがありませんが、それらを一つのコスモロジーに昇華できたらと思います。

7月13日の記事

こんばんわ~とぅらんく歴史研究部です~^^

とっ散らかっている私の頭の整理のために、ここにメモを残そうと思ってやってきましたよw

今、塩野さんの「海の都の物語」読んでます。
私はあまり読解力がないので、あまり早くは読めないですし、すぐにほかの分野に目移りしたりして厄介な人間ですw

「海の都の物語」、少し読んでなかったらいろいろ忘れまして、ちょっと復讐しようかと思います。
ええと、海の都というのはヴェネチアのことでございます。
よく、水の都と呼ばれるヴェネチアですが、塩野さんはあえて、「海の都」という題名を採用したようです。

ヴェネチア人は海と共存している人たちで、海の知識が満載なんですね。

時代は西暦5世紀、ローマ帝国は蛮族(ゲルマン族)がローマ内に侵入して国家が危うくなりかえている時代なのですが、
さらにフン族が追い打ちをかけてきていて、とてもピンチな時代でした。

イタリアの北西部のヴェネト地方に住む人は目前に迫ったフン族から逃れなくてはならず、だからと言って、フン族の目指す方向に逃げるのは危険すぎることだったようです。

ここでヴェネト人たちは神のお告げに頼ります。
司祭がこの絶望的な状況をどのように潜り抜けるか、それを塔に登って告げます。
「海を見よ、そこがお前たちの住居となる」
生死を左右されている人々にとって、神からのお告げは力強い後ろ盾となったようです。

ヴェネチアは今でこそ、環境名所となっていますが、最初は単なるラグーナ(湾)でした。
そこに彼らは逃げ込みます。
それが功を奏して、彼らは命拾いします。
このころのヴェネチアはフン族にとって何の価値もない場所で、あえて、侵略しようとは思わなかったようです。

ヴェネチアの始まりがこんなに危機一髪の決断による始まり方をしたとは全然知りませんでした。

なんだか、メモのつもりが、いっぱい書いちゃった(汗)

その後、彼らは、いかにこの場所に順応するかという課題を持つことになります。

ナポレオンがヴェネチア帝国を滅ぼすまで、ヴェネチアは水没することはなかったようです。
ヴェネチアには「アジストラート・アレ・アックワ」という官職があったようで、その職務はラグーナに流れ込む川が海に流れ込むようにすることです。
水が滞ってしまうと、水没のみならず、疫病の危険もあったようです。

現代のヴェネチアはどうなんでしょうか?水没しやすいのは海面が上がったからというのもあるでしょうか、海の知恵がすたれてしまったのでしょうか?

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