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手作りノートとカルトナージュの布箱を主にハンドメイドしています。ハンドメイドのみならず、色々な事に興味深々です。 芸術鑑賞やポエムを読むこと、絵を描いたり、最近はまった短歌のことなどを、自由気ままにコメントして行きたいと思います。歴史、地理、文化、上げるときりがありませんが、それらを一つのコスモロジーに昇華できたらと思います。

祖母の死と短歌

先日、父方の祖母が亡くなりました。96歳でした。

仕事が終わり、帰宅しようとした時に、ふっと携帯を見たら、着信が2件あり、誰だろう?と思って見たら父からでした。
電話をしてみたら、一言、
「おばあちゃんが亡くなった」

何だか、それを聞いても、何も心が動かない。
そんな自分に色々問いかける自分がいて、色々自問自答はするのですが、どうしても、実感がわかない。
そして、気づくとほかの事を考えている自分に気づいたりする。

申し訳ない、と、もういないおばあちゃんに心の中でつぶやきました。

翌々日の通夜の日の午前中、祖母の顔を見に家族で出かけました。
祖母の顔はきれいに整えられてはいましたが、もう生きていない、という感じでした。

色々と昔の事を思い出しました。
小学生のころ、祖母が元気にゲートボールをしていた姿や、
お正月の新年会の時にお年玉をもらった事。
一緒にゲートボールをしたこともあったなあ……
「100歳まで頑張る」と言ってたなあ、とか。

思えば、私が生まれた時からすでにおばあちゃんはおばあちゃんでした。(あたりまえですが)
おばあちゃんがいない時間をまだ経験したことのない私は、まだまだ生まれて間もない赤子みたいなものだ、とも思いました。(そして、もういない祖母について考える)

私の父は四男なので、あまり直に祖母と接したことがないせいか、血がつながっているのに、感情が無感覚のままで、なんで自分はドライなんだ、と思ったり…

実は今日がお葬式で、12時出棺でしたが、調子が悪く、行けませんでいた。
今頃、もう、祖母の遺体は骨になってしまったのかなと考えながら、コメしてます。

「お兄ちゃん、煙になっちゃったね…」
「北の国から…」の中に、そんなシーンがあったのを思い出します。
命って、一体どこにいちゃうんだろう?きっと、大昔から多くの人たちが考えたに違いない事を考えます。
私は死後の命を信じていませんが、あまりにも突然、身近な大切な人がいなくなったら、そう考えざるをえないとも思います。

こんな時のためにあるんだな、と思えるものがあります。
短歌です。
少しだけ、詠んでみました。みそひともじと呼ぶには恐れ多いので、31字で。


セニアカーさつさうと操るその姿安心しすぎて今日をむかへり

「いるかへ」と言つて「どつこらしよ」と言ふてあわてる我に「元気かへ」と言ふ

「それみつせえ、わしが当てたに」という言葉我が家の名言集に記せり

玄関に置かれし野菜見し時にああ今日もまたすれちがつたと

昔話とどめをしらぬその口がもう動かない 信じられない



いずれも大したことない31字ですが、31字にするだけで、なんだか力がこもる感じがします。
人の死に直面した時などの非常時に、昔の人はこのような形で気持ちを伝えあったのだな、と思えてきます。
短歌にめざめて一か月ちょっとですが、何となく、少しだけ、短歌の事が解ったような気がしました。

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