Trunk‘s Weather Report

手作りノートとカルトナージュの布箱を主にハンドメイドしています。ハンドメイドのみならず、色々な事に興味深々です。 芸術鑑賞やポエムを読むこと、絵を描いたり、最近はまった短歌のことなどを、自由気ままにコメントして行きたいと思います。歴史、地理、文化、上げるときりがありませんが、それらを一つのコスモロジーに昇華できたらと思います。

生きることが許されない時

ごーふる・たうんのとある人のコメントに触発されて記す。

泣くことが許されていなかった
怒ることが許されていなかった

泣くことが許されるのは 怒ることが許されるのは 常に場を支配できる人なのだ
その苦しみを共に苦しむことができないゆえに その怒りは受理されないままにされる

「お前が苦しいと思っても それは苦しいのではないのだよ」と
「お前が悲しくても それは悲しいのではないのだよ」と
「お前が楽しいと思ったとしても それはつまらないのだよ」と

だから私には感情が解りません

「それでも命は大切なんだよ」

泣くことは許さないけど命は大切にしましょう
怒ることは許さないけど命は大切にしましよう
お前の事は理解できないけど命を大切にしなさい

オマエナンカシンダホウガマシダケドイノチヲタイセツニシロ


2006年11月13日の日記に記されていたポエム未満。
自分もそれなりに生きづらかったのだなあ、と思う。

時代に逆らおうとする人は、少なからず迫害される。
間違っている!という声が抹殺される。

「歴史を繰り返さないために」とよく聞く。(ちょうど今時分は特に)
それを聞くたびに思う、「無理だ」と。

中井久夫「アリアドネからの糸」に「いじめの政治学」というエッセイがある。
いじめはある時期を過ぎると見えなくなってしまうのだそうだ。
この中で中井氏は、いじめを三段階に分けて解説している。
「孤立化」
「無力化」
「透明化」
と進むと言う。

まず、クラスの皆を味方につけ、標的を孤立化させる。
そして、頼る人をどんどん標的から奪って行く。
多勢に無勢になった標的に、脅しの言葉をかけ、無力化は進んで行く。
次第に自尊心は低下して行き、親にも相談できなくなる。自分の命の価値がはく奪される。
さらに進んで、標的の子はいじめのボスを神のごとく感じるようになる。どこに逃げても、見張られているように感じる。
そして、上手に飼いならされた標的は神のごとく君臨するいじめのボスの言うことを何でも聞くようになる。
話しかけられればとてもありがたいと思うようになっていく。
そうなってくると、もう、そのいじめは目に見えない。

「選択的非注意:selective inattention」というメカニズムよって、善良なドイツ人に強制収容所が「見えない」ように、
繁華街のホームレスが「見えない」ように……

「透明化」これは、ただ学校だけで起きているのではない。
昔から、大昔から存在し続けた隠された暴力なのだ。

群衆心理というものや、文化というもの、その中にいたら気づけない事があると思う。
二次大戦は防げたか?とよく問われるし、当時の状況を再現したノンフィクションの中で、主人公は、世俗の風潮から一歩退いた目線でその当時の事を見ているように描かれる。

でも、これは、その事が起きてしばらく経ってからの目線だと思う。
その時代をリアルに生きていたら、はたしてその視野は存在できただろうか?
仮に存在できたとしても、もしそのことが知られたら……
間違いなく抹殺されるだろうと思う。

国会中継が不意に聞こえてくると、耳をふさぎたくなる。
何を話し合っているか聞く気になれないのは、その前に、その声の質が荒いからだ。
内容はとにかく、あれはただ、怒りをぶちまけているだけで、その声色だけがキイーンと聞こえてきて耳障りだ。
ああ、あの中に入ると、ああなるんだ、なるほど。と納得している。

だから無理なんですよ、と思う。何が無理かと言うと、歴史を繰り返さないという事が。


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