こんばんわ~とぅらんく芸術鑑賞部です~^^
本日はとぅらんく詩吟の会の人と色々語り合ってみたいと思います。^^
さて、お題は生きづらい我らですよ、身に覚えはおありですか詩吟の会さん?
いやー我らもまた生きるのが精一杯ですよ、部長殿。
詩人の中にも生きづらさを抱えている人いっぱいいますしね。ジャンルとしては、世界の枠にはまりきれない大物を抱えている方がたくさんいらっしゃいますね。
まずは、わたくしではなく、詩人の方をご紹介しましょう。
吉本隆明氏の若かりし頃のポエムを見てみましょう。(作家、吉本ばなな氏のお父上です)
「エリアンの手記と詩」から引用してみます。
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは他人を喜ばすことが出来ない>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは醜く愛せないから>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは平和が堪えられないのだから>
僕はミリカを信じられなくなつた。オト先生の言葉は暗示した 翌る晨の寝醒め僕は机の中から小刀を取り出したのだ 秋であった!
生きづらさ満載の引用ですね。この後エリアンは自殺未遂をいたします。
この、エリアンという名前、エイリアンとも取れるのだそうです。
世の中に入っていくのが難しすぎる感じが表現されています。文学の世界や、詩の世界、哲学の世界や、心理学を目指す人たち、芸術家 音楽家 の人々が結構生きづらさを感じているように思います。
この人たちは、時代によっては革命家にもなりうる爆弾のようなものを身に帯びておられます。
吉本隆明氏は詩人ですが、思想家でもあります。心理学にも興味を持たれていたような気がします。
「母系論」という本があった気がするのですが、(名前が間違っているかもしれませぬ)
「言語は母から来る」と書いてあった気がします。ジャック・ラカンの「言語は父から来る」に真っ向から対決しているのでしょうか?
近著に「ひきこもれ」という文庫本があります。生きづらいヒッキーの味方、吉本お爺さんです。
と言っても、引きこもるなら価値を生み出せ、ということだと思いますが。
ふむふむ、まあ、外交的な人が歓迎される世の中ですしね、解ります。芸術鑑賞をする身としては。
(芸術鑑賞部部長発言)
絵画の世界にも生きずらかった人いますよ。
ほう、そうなんですか。
ゴッホなんてその筆頭でありましょう。彼は画家ですが、その前にいろんなことをしてるんですね。
メソジスト派の補助説教師をやっていた時代があります。
かなり熱中して寝る間も惜しんで宣教活動をしたため、病気になってしまった時があるんですね。
画家の時代はたったの7年ですが大量に油絵を残しておられます。
そうとうのめり込むタイプのようですね。真面目な人間なんだと思います。
オランダからフランスに南下して、印象派に出会い、作風が一変いたします。
おそらく一番有名な絵は(有名な絵はたくさんありますが)アルル時代に描かれたものかと思います。
ゴッホの一番幸せな時代でしょうか。色鮮やかで、後にフォービズムというスタイルの絵の先駆けとなっています。(野獣派と訳されてます)
このころ、ゴッホは芸術家の集う楽園みたいなものを夢見ていた、と何かで読みました。(ちょっとちがうかもしれませんが)「黄色の家」に、同じく印象派の画家、ゴーギャンと一緒に暮らした時期があります。
この共同生活はうまくいきませんでした。この二人は真逆な性格だったらしいです。
ゴーギャンが黄色の家から去った時、ゴッホは耳を切り裂きます。有名なエピソードですね。
そして、精神病院の日々がやってまいります。サン・レミでも絵画活動は続いてました。アルル時代のような鮮やかさは消え、精神性が前面に出てくる感じです。
この人、手記や手紙をたくさん残してるから、機会があったら読んでみよう。(独り言です)
そして最後の地、オーヴェール・シュル・オワーズです。
この時代の絵、好きです。自殺まで後1年ですね。
「オーヴェールの教会」という絵がありますが、教会の表でなく、裏を描いています。
「荒れ模様の空に鳥のむれ飛ぶ麦畑」飛んでいるのはカラス。死亡フラグですな。
弟のテオドールとうまくいかなくなった時(テオは兄の唯一の理解者で、金銭的な援助を兄に施していました)と、ガッシェ(オーヴェールの精神科医。ゴッホと同じ病だったらしい)との折り合いがうまくいかなくなった時が重なり、窮地に陥ります。
原因はゴッホがあまりにも自分を貫き通したせいだったのではないかと思いますが、人とうまく折り合いがつかない感じは昔から感じていたに違いないと思います。
この頃、てんかんを患っていたとのことです。
1890年7月27日、ピストルで自殺。
死ぬまで彼の絵は世間に理解されることなく、亡くなったのでした。
詩吟さん、こっちの人もずいぶんだったでしょ。
そうですねえ、苦しいですねえ。なんとなく共感覚えますね。
皆さんはどうですか?生きづらいですか?
でも、生きづらさを生かすことはできる。吉本氏は詩や思想で、ゴッホは絵画で生かすことが出来ました。
生きづらい人にはきっと何か光るものがあるのです。
本日はとぅらんく詩吟の会の人と色々語り合ってみたいと思います。^^
さて、お題は生きづらい我らですよ、身に覚えはおありですか詩吟の会さん?
いやー我らもまた生きるのが精一杯ですよ、部長殿。
詩人の中にも生きづらさを抱えている人いっぱいいますしね。ジャンルとしては、世界の枠にはまりきれない大物を抱えている方がたくさんいらっしゃいますね。
まずは、わたくしではなく、詩人の方をご紹介しましょう。
吉本隆明氏の若かりし頃のポエムを見てみましょう。(作家、吉本ばなな氏のお父上です)
「エリアンの手記と詩」から引用してみます。
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは他人を喜ばすことが出来ない>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは醜く愛せないから>
<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは平和が堪えられないのだから>
僕はミリカを信じられなくなつた。オト先生の言葉は暗示した 翌る晨の寝醒め僕は机の中から小刀を取り出したのだ 秋であった!
生きづらさ満載の引用ですね。この後エリアンは自殺未遂をいたします。
この、エリアンという名前、エイリアンとも取れるのだそうです。
世の中に入っていくのが難しすぎる感じが表現されています。文学の世界や、詩の世界、哲学の世界や、心理学を目指す人たち、芸術家 音楽家 の人々が結構生きづらさを感じているように思います。
この人たちは、時代によっては革命家にもなりうる爆弾のようなものを身に帯びておられます。
吉本隆明氏は詩人ですが、思想家でもあります。心理学にも興味を持たれていたような気がします。
「母系論」という本があった気がするのですが、(名前が間違っているかもしれませぬ)
「言語は母から来る」と書いてあった気がします。ジャック・ラカンの「言語は父から来る」に真っ向から対決しているのでしょうか?
近著に「ひきこもれ」という文庫本があります。生きづらいヒッキーの味方、吉本お爺さんです。
と言っても、引きこもるなら価値を生み出せ、ということだと思いますが。
ふむふむ、まあ、外交的な人が歓迎される世の中ですしね、解ります。芸術鑑賞をする身としては。
(芸術鑑賞部部長発言)
絵画の世界にも生きずらかった人いますよ。
ほう、そうなんですか。
ゴッホなんてその筆頭でありましょう。彼は画家ですが、その前にいろんなことをしてるんですね。
メソジスト派の補助説教師をやっていた時代があります。
かなり熱中して寝る間も惜しんで宣教活動をしたため、病気になってしまった時があるんですね。
画家の時代はたったの7年ですが大量に油絵を残しておられます。
そうとうのめり込むタイプのようですね。真面目な人間なんだと思います。
オランダからフランスに南下して、印象派に出会い、作風が一変いたします。
おそらく一番有名な絵は(有名な絵はたくさんありますが)アルル時代に描かれたものかと思います。
ゴッホの一番幸せな時代でしょうか。色鮮やかで、後にフォービズムというスタイルの絵の先駆けとなっています。(野獣派と訳されてます)
このころ、ゴッホは芸術家の集う楽園みたいなものを夢見ていた、と何かで読みました。(ちょっとちがうかもしれませんが)「黄色の家」に、同じく印象派の画家、ゴーギャンと一緒に暮らした時期があります。
この共同生活はうまくいきませんでした。この二人は真逆な性格だったらしいです。
ゴーギャンが黄色の家から去った時、ゴッホは耳を切り裂きます。有名なエピソードですね。
そして、精神病院の日々がやってまいります。サン・レミでも絵画活動は続いてました。アルル時代のような鮮やかさは消え、精神性が前面に出てくる感じです。
この人、手記や手紙をたくさん残してるから、機会があったら読んでみよう。(独り言です)
そして最後の地、オーヴェール・シュル・オワーズです。
この時代の絵、好きです。自殺まで後1年ですね。
「オーヴェールの教会」という絵がありますが、教会の表でなく、裏を描いています。
「荒れ模様の空に鳥のむれ飛ぶ麦畑」飛んでいるのはカラス。死亡フラグですな。
弟のテオドールとうまくいかなくなった時(テオは兄の唯一の理解者で、金銭的な援助を兄に施していました)と、ガッシェ(オーヴェールの精神科医。ゴッホと同じ病だったらしい)との折り合いがうまくいかなくなった時が重なり、窮地に陥ります。
原因はゴッホがあまりにも自分を貫き通したせいだったのではないかと思いますが、人とうまく折り合いがつかない感じは昔から感じていたに違いないと思います。
この頃、てんかんを患っていたとのことです。
1890年7月27日、ピストルで自殺。
死ぬまで彼の絵は世間に理解されることなく、亡くなったのでした。
詩吟さん、こっちの人もずいぶんだったでしょ。
そうですねえ、苦しいですねえ。なんとなく共感覚えますね。
皆さんはどうですか?生きづらいですか?
でも、生きづらさを生かすことはできる。吉本氏は詩や思想で、ゴッホは絵画で生かすことが出来ました。
生きづらい人にはきっと何か光るものがあるのです。